2019年09月26日

誕生日に何か書いてみる。その18

伝説はここから始まる。

第十八回目は

「悪魔城ドラキュラ」(FC・ディスクシステム版)

1986(昭和61)年9月26日(金)、今年で33周年です。

言わずと知れた「初代」ことファミコン・ディスクシステム版。
「悪魔城ドラキュラ」の栄光 と没落 の歴史はここから始まります。

今でこそバーチャルコンソールや各種復刻版でお手軽に触れられる作品ですが、当時ディスクシステムは持っていることが一種ステータスでもあった時代。
何より「ディスクカード」という媒体が先進的でカッコイイ。

ファミコンといえば「単色ベタ塗りのシンプルな背景に、デフォルメされたキャラクター」が半ば通例だったところへ、突如として現れた「壁のヒビ一つに至るまで徹底した背景に、リアルな外見と挙動を備えたキャラクター」という常識を覆す内容は、まさに異色の存在でした。
少し前に同じ方向性をもった「魔界村」が登場しているのですが、こちらはまだ頭身も低く、リアルさとコミカルさの中間地点くらいのビジュアルだったのに対し、本作はリアルさのみに極振りした、まさにゴシックホラーアクションの先駆けと呼べるものでした。
(どちらが良い悪いの話ではないのであしからず)

とても第一作目とは思えないほどに完成された内容で、「手加減まるで無しの殺る気の塊」という点を除けば何の欠点も見当たらないくらいの恐ろしすぎる出来。
(自分の周りだとそれでも余裕でクリアしているようなのばっかりだったから、その辺もピンとこないんだけど)
ムダもなければ物足りなさもない。敵もすべてが個性と役割をきちんと与えられ、配置や難易度曲線に至るまで隙もなし。
せ○しが飛び回って阿鼻叫喚の地獄絵図になったのも良い思い出(?)
テキトーにポツポツ沸いてくるわけじゃなくて、「そこにいる理由がわかる」ような配置はなかなかできるものじゃないと思う。
それでもファミコンのスペックだったからまだ抑え気味な部分も見受けられますけど、それを見事に昇華させたのが「X68000版」…ということになるのかなあ。
地形も徹底して考え抜かれていて、段差の一つ一つにまで意味が込められている(ような気がする)
単調にならずにいて、かつ構造として不自然ではなく、難易度的にも理不尽ではない、まさに「ここしかない!」と思えるほどに狙いすましたライン。

もちろん「ドラキュラサウンド」と呼ばれるほどの名曲も外せません。
当時、無条件で「サントラ欲しい!」と思わせたのはこの作品が初めてだったし、ひいてはゲームミュージック好きに傾倒するきっかけにもなった、とても大きな存在です。
個人的に特に好きなのは、無音のタイトル画面からの Underground → Prologue → Vampire Killer の流れ。
シモンが現れる(ゲームがスタートする)までにプレイヤーを見事に悪魔城の世界に引き込む演出(?)はホントにすばらしい。

もう今までに食ったパンの枚数ほどにクリアしたし、今でもふいに遊びたくなるほど個人的にクリティカルな作品で、出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
後のシリーズ展開においても大小さまざまな要素が引き継がれているあたり、初作にして礎、常に目指すべき方向性とレベルを決定づけた偉大な作品だったんだなあ…としみじみ思います。

今のこの惨状を嘆きつつ…。
(まあ、ドラキュラが…というより5○3が…という部分にですけど)

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2019年09月04日

誕生日に何か書いてみる。その17

ガ「運命の赴くままに進むだけだ」
ア『…ノープラン…

第十七回目は

「悪魔城ドラキュラ Lords of Shadow 2」

2014(平成26)年9月4日(木)、今年で5周年です。

海外は2月発売だったし、それ以降PS3の勢いも急速に落ちていったり、半年以上も放置プレイかまされたりで、「もう出ないのかも…」と諦めモードだっただけに、お情けでこんな全然期待できない市場にわざわざローカライズの手間までかけて出してくれてありがとう! っていう感じでしたね。

やっちまった感あふれる「LoS」のトンデモエピローグから上手に繋いで(むしろ「このためのトンデモエピローグだったのか!」と感心した)見事に昇華させたばかりか、数々のシステムもそれを前提に構築しつつ「LoS」「魔鏡」の経験を経てさらに洗練されて、ゲームとして着実に完成度が上がっていたことにはとても驚かされました。

システムではシンクロブロックが全敵通して狙いやすくなったのと、回復手段が複数用意されたことで「無傷で倒さないと回復できない」なんていう本末転倒さが解消されて、強い主人公でスタイリッシュにガンガン攻めていける気持ち良さ、でも思考停止のボタン連打で進めるほど甘くはない(むしろ敵に合わせて都度戦略を変えていかなければならない)、個人的には絶妙なバランス調整だと思いました。
QTEも苦手なら任意にオフにできる(かつ不自然にはならない)点も、「魔鏡」の反省(3DS版で不評→HD版で単純に撤廃という安易さ)が活かされていてよい。

個人的に一番好きだったのは「敵の殺る気」ですかね。
ボーっと突っ立つこともなくガシガシ攻めてくるし、きちんと守るし、逃げても飛び道具で執拗に狙ってくるし(ちゃんと処理しておかないとものすごい場所から狙ってきたりする)
しかもただ突っ込んでくるわけじゃなくて、他の敵の行動や位置も考えているような自然な動き(左右に展開して取り囲んできたり、波状攻撃を仕掛けてきたり等)を見せるからまたビックリする。
今風に言うと「全敵AI搭載」みたいな感じ。
よくある接待レベルの敵に慣れ切った昨今、本来の敵ってこうあるべきだよなー…と思うくらいにしつこくて恐怖すら感じたほど。

一方で、不満(というほどのものでもないけど)として挙がるのは「スニーキングミッション」と「最終戦」かなあ…。
スニーキング自体は別につまらないわけじゃないんだけど、何ていうか「らしからぬ」存在というか。
力が弱まっている最初のころはまだしも、中盤以降だと「何でこんなことやってるんだろう?」と思ったし(以前にも書きましたけど、スニーキング終了2分後にガチバトルとか「何それ!? 最初からやれよ!」状態)、そのせいで汎用ハゲアーマーがゲーム最強の敵とか残念なことになっちゃってるし。
能力がある程度戻ってくれば正面からでもなんとかできる(でも基本的には隠れたほうがラク)…とかあればまだ良かったんだけど、いつの間にか全員いなくなっちゃうしなあ…。

最終戦については一言だけ。

直接ブン殴ってやりたかったのに!


ストーリーに関してはたぶん日本人好みじゃないというか、そこまでスッキリとは終わらない感じなんですけど、個人的にはだんだん「こういうのもアリかな」と考え直して、今では「これがベストだろう」と思うくらいになりました。
むしろご都合主義丸出しで人間に戻れましたーとかやられてもシラケそうだしねー…。
確執もなくなって今後はもう一人じゃないし、いざとなれば何とかできる手段も手に入れたし、十分救いがあると思う。

そんな感じで、気づけば北米版も日本版も何周もして、アイテムの出現法則の調査からマップの作成まで行ったくらいには個人的お気に入りな作品になりました。
MercurySteam社による「Lords of Shadow」サーガはこれで完結したわけですが、また「新章」として新たな展開も見てみたかったなあ…と強く思います。

ホント、余計な口出しせずに黙って任せておけばよかったものを…。

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2019年08月28日

誕生日に何か書いてみる。その16

オマチクダサイ(×2)

第十六回目は

「ドラキュラII 呪いの封印」

1987(昭和62)年8月28日(金)、今年で32周年です。

前作「悪魔城ドラキュラ」の正統な続編にして、純ステージクリア型アクションから探索型アクションRPGへと大幅すぎるにもほどがある変貌を遂げて帰ってきたシリーズ第三作。
探索型ドラキュラの始祖というと「月下の夜想曲」を連想する方は多いかと思いますが、本当の始祖はなんと「月下」より10年も前に誕生していたのです。
「月下」に本作ネタが多数取り入れられている点からみても、制作側がそれを意識してリスペクトしていたのは明らかでしょう。

「月下」は既出の通り、アクションRPGとしてすばらしい出来だったわけですが、こちらは真面目要素とバカ要素が混在して不可思議なハーモニーを奏でるカオスな存在。
ビミョーな言い回しだけど、たぶん全体としては褒めてる。
息をするように嘘情報を垂れ流す町人はその最たるもの。
嘘ではないにしても「止まると死ぬ」だの「終わったな!」だの(何が?)、容量足りなくて苦労していそうな割にはムダが多くてさらにシュール。
もっと町人に言わせるべき情報はあったはずだし、そもそも嘘情報とか必要だったのか? と思わなくもない。

容量不足の問題は、パターングラフィックの繰り返しで埋められた面白みのない背景、殺る気ZEROのデス様を筆頭に攻略し甲斐のない敵、トンデモ解法の謎解き、結局謎のままの謎の女性…など多岐にわたり、あらゆる部分で消化不足感が拭えない…。
たぶん、ROMとしてもRAMとしても泣く泣く削った部分は多かったんだろうなあ…と考えると、「ハードとソフトのスペックが「ドラキュラII」のシステムを実現できるレベルになかった」ということになるのか。
もしPSくらいのハードで、「月下」レベルのグラフィックや演出を駆使すればきっとものすごい出来になったに違いない。

とはいえ、本作の内容をゲームにするならば、このシステムは当時できうる最良のものであったと思うし、(良し悪しはあれど)不思議と細部に至るまで記憶に深く刻み込まれるという謎の魅力(?)は、この絶妙なカオスさがなければ生まれなかったのかもしれない。

…しかし、当時はなんで「崖を頭突きで切り拓け」なんて嘘情報鵜呑みにしてたんだろうなあ…(でも正式な解法もなかなかヒドイと思う)

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2019年08月18日

PCエンジンミニの話。その2

隠し玉…というよりは、あちこちで「ありえねー」連発でamaz○nからも苦言が出て、渋々バンダイナムコに頭下げに行った…みたいな印象しか受けないんですけど、正確なところどうなんでしょうかね。
初回発表当時は、「天外魔境II」も含めてまだ各所と詰めの交渉中だった…という可能性もありえない話ではないと思いますが、今の573だと前者のイメージしか沸かねーや

これでもし「血の輪廻」「スナッチャー」「天外魔境II」ともに修正検閲ナシの完全オリジナル仕様だったらちょっとは揺らぐところですが、まあ、きっと無理なんだろうね。
本なんかだと「当時の表現を尊重して〜」とかよく見るけど、ゲーム(映像関係?)だと通用しないんだろうか。

実物あるんで、素直に大竹さん(隠語)にお願いすることにします(完結)
posted by が。 at 09:35| Comment(0) | ゲーム

2019年08月10日

誕生日に何か書いてみる。その15

一番縮んだのは……脚だ。

Famicom-Mini.gif

第十五回目は

「ファミコンミニ29 悪魔城ドラキュラ」

2004(平成16)年8月10日(火)、今年で15周年です。

バーチャルコンソールやアーカイブスが始まるよりも前に、レトロブームの先鋒として登場した「ファミコンミニ」シリーズの一つ。
ファミコンの互換機は数多くあれど、ディスクシステムまでカバーしたものは(ツインファミコンを除いて)存在しない世知辛い(?)ご時世におけるこの知らせには、「任天堂グッジョブ!」と思ったものです。
強欲を言えばファミコン三部作全部をカバーして欲しかったところですが。

内容に関してはだいたい本サイトのシリーズ紹介に書いたものの繰り返しになるだろうと思うので、今回はそれ以外の部分をメインに語ってみようかと思います(まあ、それでも重複するだろうと思いますが)

やはり、昨今のバーチャルコンソール系とは決定的に違うのが、「現物として存在する」という点。
ゲームはもちろん中身が最重要ですが、当時を懐かしむうえではガワや説明書などの各種付属品も決して無視できない要素です。
ディスクシステムの仕様(外観)とは違うけれども、ディスクカードケースを模したパッケージデザインは、懐かしさと同時に新しさも感じられるようでとてもセンスが良い。
かつ、適度なコンパクトさとコレクション性も併せ持っているため、「全部揃えて並べてみたい」欲求もかなり刺激されます。
2000円×30タイトル=60000円(税別)という現実を前に断念しましたが。

あと、カートリッジもディスクカードと同じ鮮やかな黄色に、最低限の表示を加えた以外は当時そのままのラベルデザインという「わかってらっしゃる」作り。
「この程度、現代の技術ならワケなく再現できるだろう?」と思われるかもしれませんが、おそらく現実はそう簡単ではなかったんじゃないかなー…という写植時代を知る者の推測。
当時は制作も製版もアナログでしたから、それから20年近くも経って原本が良い状態で残されているのか…むしろ現存するのかすらあやしい状況だったでしょうし。
実際、大半の画像が撮り直しされていた点からすると、結局ほとんどが一から作り直しになったのでしょうし、おそらく(詳しく見比べてはいませんが)フォントや字送りなども当時のものとは微妙に違っていたりするのでしょう。
ゲーム本体(ドット絵)も全描き直しを余儀なくされたようですが、外側の再現にも多くのコストがかかったのはまず間違いなさそうです。
「バーチャルコンソールなら500円じゃないか」と単純に思ってしまいがちだけど、ここまで丁寧に手を入れてなお2000円に抑えてくれたのだから、今思うととてもありがたいことだよね…。

ゲームボーイアドバンスもすっかり過去の産物となった今、ゲームに触れたいならばバーチャルコンソール系のほうが断然便利で完璧ですが、それでもシリーズファンとしては手放す気にはならない、持っていることに嬉しさと魅力を感じられる逸品です。

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